目標に向かい進み続けるために、コンディショニング作り、そしてアスリート人生を設計できる方を、Think Athleteと定義。ベネクスとしては、リカバリー環境のサポートにより、悔いのないアスリート生活、人生のサポートをすることを目指しています。
今回はThink Athleteの第14弾として、プロビーチバレーボールチームDOTsの辰巳遼選手に取材をさせていただきました。
19年のバレーボール経験を経てビーチバレーへと転向、DOTsを結成。ビーチバレーという新しい世界で競技の面白さの核心に迫りつつ、未来の選手たちへとつなぐための活動を続けています。
RLスタッフ:先日、古田選手にお話をお伺いしましたが、本日は辰巳選手のお話をお伺いさせていただき、DOTsさん、ビーチバレーの魅力についてより深く教えていただけたらと思っています。早速ですが、辰巳選手のバレーボール歴を教えていただけますか。
辰巳選手:小学校3年生からですので、ビーチバレーも含めると19年です。バレーボールに出会うまでは、野球やサッカーを体験しましたが「自分には合わないな。でもスポーツはしたい」と思っていました。通っていた学校にはバレーボールがなくて、ある日、父にドライブに行こうと連れていかれたのが、バレーボール体験だったんです。
RLスタッフ:バレーボールはピンと来たんですね。
辰巳選手:子ども心に、なんかよかったと感じたのかなと思います。その後、大学までバレーボールを続け、古田と同じヴォレアス北海道に入って、3シーズン、25歳までプレーしました。
RLスタッフ:辰巳選手がビーチバレーに転向された理由はなんだったのでしょう。
辰巳選手:リオデジャネイロオリンピックがあった当時、大学3年生で寮にいました。たまたま夜中に目が覚めてテレビをつけたら、偶然ビーチバレーの決勝戦をやっていたんです。その時に初めて競技として観たのですが、その時感じたインパクトがキッカケかもしれません。
RLスタッフ:どうお感じになったんですか?
辰巳選手:競技の面白さがとにかくすごかった。そこからずっとビーチバレーをやってみたいな、という気持ちがありました。まさか自分がプロとしてやるとは思っていませんでしたが。
RLスタッフ:プロでやると思っていなかったのは、ビーチバレーが日本では一般的ではない面があるのでしょうか。
辰巳選手:そうですね。ブラジルのようにメジャースポーツとしての環境や機会がまだまだ整っていないので。今こうして職業としてビーチバレーをするというのは、現実的ではなかったこともあって、最初はインドアのバレーボールを続けていました。
RLスタッフ:そこからどうやってDOTs結成に至ったんですか?
辰巳選手:プロチームでは、練習のグループで古田と一緒になることが多くあって、どちらともなくビーチバレーの話になって、いつかやろうよと話していました。
RLスタッフ:古田選手は北海道ご出身なので、地元でDOTs結成という流れはわかりやすいなと思うのですが、辰巳さんは奈良のご出身でしたよね。
辰巳選手:はい、奈良出身で大学は東京でした。大学は寮だったので、北海道に来た当初は、一人暮らしも初めてだし、社会人も初めて、北海道も初めて。本当に何をしていいのかわからない状況が続きましたが、なんとかかんとかやってきた感じです。今となっては生活にもすっかり慣れました。
RLスタッフ:今や北海道が基盤だと思いますが、北海道の良さや好きになったところはありますか。
辰巳選手:僕が住んでいる町は旭川市の隣町である鷹栖町というところです。あまり大きくない町ですが、野生動物も多くいて、自然豊か。人も本当にあったかくて暮らしやすい。何か特別というものはないかもしれませんが、それがいいなと思っています。田舎と言ってもクルマ10分走らせればショッピングモールもあって、静かで住みやすいところです。
RLスタッフ:辰巳さんとベネクスの出会いを教えていただいてもよいでしょうか。古田選手は北海道チーム時代にベネクスの話になって...とおっしゃっていました。
辰巳選手: 僕がベネクスを知ったのはプロになったタイミングで、古田にベネクスを教えたのは実は僕なんです(笑)
RLスタッフ:古田選手より若い辰巳選手の方が先に知っていてくださったのですね。
辰巳選手:プロになった当初は、元々指導者になりたいと学生の頃から思っていたこともあって、自身の希望で日中は子どもたちにいろいろなスポーツを教えていました。夕方から練習、週末は試合という毎日でした。
RLスタッフ:一日中体を動かして、休む間もない生活ですね。
辰巳選手:学生の時はバレーボール以外の時間がもちろんありましたので、そこまで真剣に考えていませんでしたが、そんな状況になったこともあって、初めて自分への気の遣い方、時間について考えるようになりました。素人考えながら、一番は食事や睡眠かなと思って、マットレスや枕などを調べているうちにベネクスさんのリカバリーウェアという存在を知りました。物は試しだなと思って買ったのが出会いですね。
RLスタッフ:当時はまだ20代前半で寝れば回復するような若さで、なかなか休養を考えないですよね。休養を考えざるを得ない環境が、ベネクスに出会ったキッカケだったんですね。
辰巳選手:北海道に来て3年間は仕事も練習も何もない、という日は一日もなかったので、相当疲れていたんだと思います(笑)
RLスタッフ:夢のためにがんばっていた辰巳さんを少しでも支えられていたのであればうれしいです。初めて着た時は、何か違いを感じられましたか?
辰巳選手:ケアのためのネックレスやシールがあるじゃないですか。最初はあのようなものがなぜ効くのかと思っていて。だから、実はリカバリーウェアも、身につけるもので変わるというのがあまり理解できなかったんです。ただベネクスを知って、せっかく取り入れたのだからと、練習と仕事以外のできる限りの時間着てみたんです。そうしたら、一日一日すごくリセットされている感じがしました。特に朝のリセットされている感じを日に日に感じてきて。
RLスタッフ:信じてくださった辰巳選手の助けになれてよかったです。
辰巳選手:一週間終わった後の感じなど、節々で感じられたので「あ、すごいな」って思いました。そこからはもうずっと着ていますね。
RLスタッフ:がんばる人の支えになりたいと思っている私たちからすると、とてもうれしいです。それだけ着込んでくださっているので、辰巳流のリカバリーウェアの活用法があったら教えていただきたいです。
辰巳選手:練習と仕事以外の時間は本当にずっとベネクスを着ています。ベネクスの上からトレーナーも着られますし、パーカーなどのタイプのベネクスもあるので、季節、TPOにあわせて着ています。
RLスタッフ:私よりも着込んでくださっています(笑)そんな辰巳さんにとってベネクスは言うならばどんな存在ですか?
辰巳選手:引退しても欠かせないものだと思っています。
Vol.2はこちら⇒辰巳遼選手Vol.2 「北海道にいたからこそ、今のDOTsがある。核心に触れるまで努力をする過程を次世代につないでいく」
■Profile
辰巳 遼(たつみ りょう)選手
1995年7月18日生まれ、奈良県磯城郡田原本町出身のプロビーチバレーボール選手。
清風高等学校、明治大学を経て、ヴォレアス北海道(当時V3)に入団。チームのV3優勝に貢献し、自身も最優秀新人賞を受賞。
2021年にビーチバレー界に転向し、DOTsを結成。
俊敏な動きと確かな技術を持ち、パートナーとのコンビネーションで勝利を収め、国内外のビーチバレー大会で活躍している。将来の成長が期待される若手選手。
〈経歴〉
2018年 ヴォレアス北海道に入団、
2018-19年 V.LEAGUE DIVISION3 MEN 最優秀新人賞
2021年 ビーチバレー選手に転向、辰巳遼、白石啓丈とともにビーチバレーチームDOTsを立ち上げ
〈所属チーム歴〉
清風高等学校 - 明治大学 - ヴォレアス北海道 - 現在:DOTs(ビーチバレー)