目標に向かい進み続けるために、コンディショニング作り、そしてアスリート人生を設計できる方を、Think Athleteと定義。ベネクスとしては、リカバリー環境のサポートにより、悔いのないアスリート生活、人生のサポートをすることを目指しています。
今回はThink Athleteの第16弾として、パラ競泳選手の成田真由美さんに取材させていただきました。成田さんはパラスポーツの世界的大会で1996年から2008年まで4大会連続出場され、20個のメダルを獲得。その圧倒的な強さから"水の女王"と呼ばれています。
今日、誰もがパラアスリート・競技のことを知るようになったのは、この世界の記憶に残る活躍によるものと言っても過言ではありません。これまでの背景とともにベネクスとの関わりについてもお伺いさせていただきました。
RLスタッフ:本日はベネクスのオフィスまでお越しいただきありがとうございます。
成田さん:実は(本社のある)本厚木駅にはお寿司を食べに、母を連れてよく来るんですよ。帰りには駅ビルの本厚木ミロードでお買い物したりして。
RLスタッフ:そうなんですね! お話をお伺いできるのを楽しみにしておりました。まずは成田さんが水泳をはじめたきっかけを聞かせてください。
成田さん:中学1年生の時に横断性脊髄炎を発症し、車いすの生活になりました。実は私、プールが大嫌いで泳げなかったんです。水泳の授業はいつも仮病を使って見学して(笑)
RLスタッフ:苦手な水泳をされるようになった理由がますます気になります。
成田さん:退院後、最初に飛び込んだのは車いすのバスケットボールでした。車いすになる前バスケットと陸上をやっていて、水泳以外のスポーツはどれも大好きだったんです。ある日、障害を持っている友人から水泳のリレーのメンバーが足りないと声をかけられました。大会は仙台で開かれると聞き「仙台なら美味しいものが食べられるかも!」と思って、つい参加すると言ってしまったんですよ。それからわずか1か月間の練習でどうにか泳げるようになり大会に参加。2つの個人種目で大会新記録のメダルをもらいました。
RLスタッフ:えっ、泳げなかったのに大会新記録ですか。
成田さん:あんなに大嫌いだった水泳なのに、まさか自分が金メダルを取るなんて。めちゃくちゃうれしくって、これからも水泳を続けようかなと思った矢先でした。なんと帰り路で追突事故にあってしまいました。その後追突事故は4回まで続くんですけど。
RLスタッフ:それでも水泳はやめたいと思わなかったんですね。
成田さん:大会で一緒に泳いだ仲間の存在が大きくて、もう一度この仲間と一緒に泳ぎたいと思ったんですよね。その事故があったから、逆に気持ちが強くなったのかもしれません。事故では首をいためてしまったので、左手にも麻痺が残ってしまって、今も泳ぐときはグーの形のスタイルで泳いでいます。
RLスタッフ:そんな逆境がありながらも、そこから世界を目指されるわけですよね。
成田さん:事故に遭ったのは1994年で、全治10カ月かかりました。翌1995年はアトランタでプレ大会の参加の機会を得ました。両親は「入院が長くて修学旅行も行けなかったんだから、行っておいで」と快く送り出してくれました。そのプレ大会でメダルを獲得できたことで、日本代表として1996年の本番の大会にも選ばれたいと強く思いました。本腰を入れてトレーニングをはじめるために、近所で通える場所を探し始めますが、車いすであることを理由に断られ続けました。ようやく7か所目、今も通っている横浜サクラスイミングスクールのコーチが受け入れてくれたんです。
RLスタッフ:トレーニングするにもご苦労がありますね。それと、事故からわずか2年で世界大会に初出場されたことに驚きました。
成田さん:実際サクラに入って10カ月後に本番という状況だったので、その間は死に物狂いで練習しました。本番の大会では世界新記録を樹立することができ、金メダルを2個獲得できましたが、ドイツにカイ・エスペンハイン選手というライバルがいて、彼女は金を4個獲ったんです。そこで、負けず嫌いのスイッチが入って、絶対に4年後は今よりも多くメダルと取りたいって思ったんです。
RLスタッフ:そこから4大会連続での出場が続くわけですね。
成田さん:私の場合、怪我や病気がつきもので、どの大会の前にも手術をしたり、肩を壊したりして、満足に練習して臨めた大会って一度もないんです。
RLスタッフ:常に高い壁を克服し出場されたことはもちろんですが、結果も伴っていることにもっと驚きます。
成田さん:カイに勝ちたいという思いで、2000年の大会までがんばることができました。結果、私は金6個、カイは金銀5個でした。ようやくカイに勝つことができたんです。その大会の2年後、体調を崩して入院していたところに、カイのお母さんから「娘の命が危ない」って連絡があったんです。当時私は面会謝絶の状態でドイツに行くこともできませんでした。5日で千羽鶴を折って届けましたが、鶴が到着した1日前に彼女は34歳で亡くなってしまいました。そこで新たな目標ができたんです。次の大会でカイの分も金メダルを取って、ドイツに届けに行きたいと。
RLスタッフ:病床で掲げた目標なんですね。
成田さん:退院後、これまで以上のトレーニングを重ね、2004年の大会では7つの金メダルを獲ることができました。7つのうち6つが世界新記録で、唯一記録を更新できなかった種目は、なんとカイが世界記録を持っていた50mの背泳ぎでした。
RLスタッフ:運命のようです、すごいことですね。
成田さん:そうなんです。カイと一緒に泳いでいたら私はきっと金を獲れなかったと思います。だからこの金メダルはカイのものだと思って、大会の翌年にドイツに行ってお母さんに届けに行きました。カイが泳いでいたプールで泳がせてもらったり、お墓に連れて行ってもらったり、カイのお友達といろんなお話をさせてもらったり。最後の日に「これはカイが獲っていたはずのメダルだから」と言って渡しました。お母さんは涙を流しながら「本当にいいの」って言って。だから私は金を15個獲得しましたが、手元にあるのは14個、1個はカイが持ってくれています。
■Profile
成田 真由美(なりたまゆみ)
1970年8月27日生まれ、神奈川県川崎市出身のパラ水泳選手。横浜サクラスイミングスクール所属。
数々の国際大会で金メダルを獲得、世界新記録を更新し、「水の女王」と呼ばれる。日本パラスポーツを長く牽引してきた存在である。中学生のとき横断性脊髄炎のため下半身が麻痺し、以後、日常生活では車椅子を使用している。現在は水泳を続けつつも、車椅子での生活やパラスポーツへの理解を広めるため、各地での講演を行っている。芯に強さを持ちながらも、穏やかな笑顔といつでも前向きな姿が多くの人に元気を与えている。
〈経歴〉
1996年 アトランタパラリンピック出場:個人2種目で金メダル獲得
2000年 シドニーパラリンピック出場:個人5種目、団体1種目で金メダル獲得
2004年 アテネパラリンピック出場:個人6種目、団体1種目で金メダル獲得
2008年 北京パラリンピック出場
2016年 リオデジャネイロパラリンピック出場
2021年 東京パラリンピック出場