【Think Athleteインタビュー】パラ競泳選手 成田真由美さんVol.2 「水泳に車いす――起きている時間は常に体を使う毎日でも、疲れは次の日に残さない」

Think Athlete / 休息タイプ-休養学 / 運動タイプ-休養学

目標に向かい進み続けるために、コンディショニング作り、そしてアスリート人生を設計できる方を、Think Athleteと定義。ベネクスとしては、リカバリー環境のサポートにより、悔いのないアスリート生活、人生のサポートをすることを目指しています。

今回はThink Athleteの第16弾として、パラ競泳選手の成田真由美さんに取材をさせていただきました。

前回までの記事はこちら→【Think Athleteインタビュー】パラ競泳選手 成田真由美さんVol.1


RLスタッフ:成田さんとベネクスの出会いをお伺いしてもよろしいでしょうか。

成田さん:実は本屋さんで「疲れ取り首ウォーマー」の本を買ったことがきっかけでした。そのあとに、水泳商品を販売されているニューレベルさんを通じてリカバリークロスを購入しました。その時"昼間の活動中に着てはいけない、寝る時に着るもの"だと説明を受けました。それから海外にも、試合の時にも持ち歩いていました。

RLスタッフ:使ってみていかがでしたか。

成田さん:試合の前の招集所とかすごく寒いのですが、ベネクスを使うとすごくあたたかかったんです。それはすごく驚いて。試合の時には体を冷やさないように使っていました。他の車いすの選手がそれをみて「それなあに?」と聞いてきたので説明すると、彼女も買っていました。

RLスタッフ:試合前は冷やさない方がいいんですね。

成田さん:それはもちろんです、体が固まってしまうので。ある程度、暖かさはないといけないですね。車いすのパラアスリートはそれぞれ障害が違っても、どうしても上半身に多く負担がかかります。ベネクスを使用することでその負担が軽減すると思うんですよね。私自身もバリバリ泳いでいた時は週3回ケアに行っていたところが、今は月2~3回と、施術を受けに行く回数が減りました。

RLスタッフ:行く負担や、時間の負担を減らすサポートになったならうれしいです。

成田さん:クロスをきっかけにリカバリーウェアを着るようになってから、寝起きの朝の疲れの感じが違うんですよね。625分にタイマーをかけていますが、大概タイマー前に起きてしまいます。

RLスタッフ:よく眠れるようになりましたか?

成田さん:はい。すごく冷え性だったこともあったので、今までは寒くて目が覚めたりとかして、夜中に目が覚めることもありました。それが、使うことで朝起きた時に「ゆっくり眠れたな」「気持ちよく目覚められた」と本当に体感できて。それと私の場合は車いすで生活しているので、嫌でも肩を動かします。それに加え水泳でも動かします。休める時って夜寝ているときだけなんですよね。

RLスタッフ:常に肩回りががんばっている状態ですね。

成田さん:首もひじも肩も全部痛い。だから唯一休める睡眠時にベネクスさんの力を借りて眠れることが至福の時です。

RLスタッフ:アスリートとしてリカバリーウェア以外にも気を配られていることはありますか。

成田さん:疲れを次の日に残さないということですね。水泳のためにしっかり食べて、サプリメントを取って、リカバリーウェアを着て寝る。それで次の日またゼロの状態からがんばれるということが大事なことですね。それとオン・オフはしっかり分けるようにしています。仕事をするときはちゃんとして、練習する時はしっかり練習する。時にはおいしいものを頂いたり、家族と触れ合う時間を保つとか。

RLスタッフ:成田さんが明るいパワーに満ち満ちている理由は、生まれ変わるように毎日元気な朝を迎えられているからなんですね。

成田さん:同級生と集まるとどうしても不調自慢大会になりやすいんですけど、そうではなくて、年を重ねてもいつまでも体を動かせる人になりたいなと思います。どうしても体に負担はかかってきているので、労わりながらですけれど。

RLスタッフ:成田さんの元気の支えに少しでもなっていたらうれしいです。今はパラ競技やパラアスリートを私たちが当たり前に知っている世の中ですが、それは成田さんのご活躍によるところが大きいのではないでしょうか。

成田さん:初めて出場した1996年の大会の後に、某新聞記者から「パラリンピックって何ですか」という取材を受けたんです。メダルを取ったときにですよ。この人パラ競技のこともわからずに取材に来ているのか、日本ではまだ認知されていのか、とすごく衝撃を受けたんですね。

RLスタッフ:28年前はそんな状況だったのですね。

成田さん:それから私は取材を断らないって決めました。アスリートとしての私を知ってもらい、車いすユーザーとしてはもっと住みやすい街にしていく働きかけができればと思っています。今日もですが電車で移動したり、車を運転したり、ありのままの自分を見てもらうことで、車いすの人は大丈夫かな、このトイレ使えるかなとか考えてもらえることが必要なのかなと思っています。

RLスタッフ:私も恥ずかしながら、今日成田さんがお越しくださることになって、駅から会社までの道のりを車いすの方が通るとどうなんだろうと、初めて考えながら歩きました。

成田さんは講演会などで伝える活動もたくさんされていますよね。

成田さん:1996年の世界大会に行く前に、小学校のPTAから体験談を話してほしいと言われたことがキッカケですね。それまで自分が今まで経験してきたことを人に話すなんてとんでもないことだと思っていました。ところが子どもたちに話をしていると、目がキラキラ変わっていくのがわかるくらい、すごくよく話を聞いてくれて。

RLスタッフ:どんなお話をされているのですか。

成田さん:私は小学校の頃はとっても元気で、中学校で病気を発症しました。だからこんな気持ちになったんだよとか、歩ける頃は当たり前のようにできていたことができなくなったこと、その頃大嫌いだった水泳が今は生活の中心にある毎日で...とか。車いすで生活していると困ることがたくさんあることなど、子どもたちはどの話もちゃんと聞いてくれるんです。この間行った学校の子どもたちとも「夏休みに一緒に泳ごうね」と約束して、校長先生と今LINEでやりとりしているところです。

RLスタッフ:成田さんを前に子どもたちが目を輝かせること、わかります。そんな成田さんに、これから目指すことを最後に聞かせていただきたいです。

成田さん:小児科に入院している時、生きたくても生きることができない34歳の幼い子どもたちが、目の前で亡くなっていくこと、命が保証されないことを目の当たりにしました。当時中学生でしたが、すごくショックでしたし、私は車いすになったけどちゃんと生きなきゃいけないなと。そこで命の尊さを教えてもらったかもしれません。

RLスタッフ:言葉にできないほどの体験ですね。

成田さん:私は常日頃から助けてもらう立場です。例えばエレベーターを開けてもらう、ボタンを押してもらうとか。支えてもらって、包んでもらって、守ってもらえる立場だと思うんです。だからと言ってすべてしてもらうのではなく、自分にもできることがあることが大切で、できることはしっかりやりたい。でも絶対に届かない高いところのものは取ってもらわないと生きていけないし、助け合って生きていく人生は一生続くと思うんです。そういう人生を受け入れつつ、車いすになってしまった子どもたちが将来住みやすいと思えるような街づくりをしていきたいですね。

RLスタッフ:取材は断らない、とおっしゃっていたこともそのお気持ちからなんですね。

成田さん:車いすの先輩たちがここまでしてきてくれていると思うので、車いすでも障害を持っていても、気楽に食事に、買い物に行けるとか自分が障害者と意識しなくても生活ができるようになってほしいです。

RLスタッフ:成田さんの想いや、前向きさに救われる人がたくさんいると思います。

成田さん:障害を受け入れるのって、すごく勇気が要ることで時間もすごくかかったのは事実です。その時間は人によるだろうから、短いからいい、長いからいいという問題ではない。でも受け入れたらこっちのもので。私も受け入れてからは積極的に外に出ていくようになったし、車の免許も取りました。派手な車いすに乗るようになったのもそうですね。

RLスタッフ:素敵な車いすですよね。

成田さん:派手だとみんなに見てもらえます。見てもらうことで車いすの人だったらどうするんだろう、という考えるキッカケになったらいいなと思っています。生まれてきたときから、車いすの人はこうだよな、ってわかる人なんて絶対にいません。誰もが成長していくなかで自分の目で見て、聞いて、学んで、覚えていって初めて知ることだし、私自身も当事者になって初めて見えたことがあります。ただそこに障害者=かわいそうな人ではないっていうことは伝えたいなって。

RLスタッフ:私たち誰もが助け合いながら生きていかなければならない存在ですが、それも忘れがちですし、見聞きしたことがないこと、体験したことがないことはやはり「知らない」となってしまうなとハッとしました。お互いさまであふれる世の中にしたいですね。本日は貴重なお時間をありがとうございました。

Profile

成田 真由美(なりたまゆみ)

1970827日生まれ、神奈川県川崎市出身のパラ水泳選手。横浜サクラスイミングスクール所属。

数々の国際大会で金メダルを獲得、世界新記録を更新し、「水の女王」と呼ばれる。日本パラスポーツを長く牽引してきた存在である。中学生のとき横断性脊髄炎のため下半身が麻痺し、以後、日常生活では車椅子を使用している。現在は水泳を続けつつも、車椅子での生活やパラスポーツへの理解を広めるため、各地での講演を行っている。芯に強さを持ちながらも、穏やかな笑顔といつでも前向きな姿が多くの人に元気を与えている。

〈経歴〉
1996
年 アトランタパラリンピック出場:個人2種目で金メダル獲得
2000年 シドニーパラリンピック出場:個人5種目、団体1種目で金メダル獲得
2004年 アテネパラリンピック出場:個人6種目、団体1種目で金メダル獲得
2008年 北京パラリンピック出場
2016年 リオデジャネイロパラリンピック出場
2021年 東京パラリンピック出場

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